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      松原守  1965年8月9日名古屋市生まれ (シンガポールの独立記念日と同じ日)

京都学園大学バイオ環境学部 バイオサイエンス学科 分子生物学研究室 教授

博士(薬学), 薬剤師, 上級健康食品管理士

好きな言葉:信念、誠実   

学歴
1990年3月 名古屋市立大学薬学部製薬学科卒業
1992年3月 名古屋市立大学大学院薬学研究科博士前期過程修了
1994年9月 名古屋市立大学大学院薬学研究科後期過程修了 博士(薬学)取得
職歴
1994年10月 藤田保健衛生大学総合医科学研究所 研究員
1995年4月 日本学術振興会特別研究員
(藤田保健衛生大学総合医科学研究所, 指導教授:千谷晃一教授)
1996年8月 藤田保健衛生大学総合医科学研究所 医高分子分野 助手
2000年6月 理化学研究所播磨研究所 メンブレンダイナミクス研究グループ 研究員
2002年5月 日本オルガノン株式会社医薬研究所 主任研究員
2003年8月 カルナバイオサイエンス株式会社 プロテオミクス室 室長
2006年4月 京都学園大学 バイオ環境学部 バイオサイエンス学科 助教授
理化学研究所放射光科学総合研究センター 客員研究員(2017年3月まで)
カルナバイオサイエンス株式会社 テクニカルアドバイザー(2007年月まで)
2007年4月 京都学園大学 バイオ環境学部 バイオサイエンス学科 准教授
愛知学院大学 歯学部 非常勤講師 現在に至る
2011年4月 公立南丹看護専門学校 非常勤講師 現在に至る
2013年4月 京都学園大学 バイオ環境学部 バイオサイエンス学科 教授 現在に至る
資格
1990年6月 薬剤師免許取得
2012年2月 健康食品管理士取得
2017年4月 上級健康食品管理士取得
賞罰
1990年7月 第28回名古屋テレビ放送海外派遣学生
1994年4月 大幸財団学芸奨励賞
2004年10月 日本生化学会JB論文賞
2014年4月 2013年度京都学園大学ベストティーチャー賞
2015年3月 2014年度京都学園大学ベストティーチャー賞
社会活動
所属学会 日本生化学会(代議員), 日本分子生物学会, 日本薬学会, 日本農芸化学会,
日本食品安全協会, 健康食品管理士会

詳しいプロフィール

「偉大なる田舎」である名古屋に生まれ、育ちました。

0歳から小学校まで
・名古屋市立東丘保育園に0歳から入園した。(その保育園の第1号の入園者)
・小学校は、名古屋市立東丘小学校。
  サッカー部、音楽部(ピアニカ担当)
・名古屋南東部に位置する緑区に住んでいました。家の周りは、自然がたくさんあり、魚やカエルなどを捕まえていました。春になるとツクシやワラビなど一杯採っていました。

中学校時代
・名古屋市立東陵中学校、軟式テニス部キャプテン、区大会団体優勝
・2年生後期生徒会長
・アメリカで始まったばかりの遺伝子工学というものに何かあこがれを感じていました。

高校時代
・愛知県立旭丘高等学校、軟式テニス部副キャプテン、県大会ベスト8
・高校は、テニスだけを一生懸命がんばったという感じでした。毎朝、家を6時に出て、早朝練習をし、帰りも帰るのは9時くらいで、疲れ果てていました。そのため、現役大学合格は果たせぬ夢となりました。

浪人時代
・河合塾(千種校)に通っていました。
・結局、志望校には受からず、滑り止めで受けた大学でが全て薬学部だったということで、少し運命を感じて地元の名古屋市立大学薬学部に入学しました。

名古屋市立大学(学部、修士、博士課程)
・学生時代は、友人が作ったアメリカ横断ウルトラクイズに参加。3回挑戦するも、いずれも後楽園、東京ドームで惨敗。友人は成田空港まで残ったことも。
・個人的には近くのテニススクールに入りテニスの腕を磨いていました。
・バブルの真っ只中、家庭教師してお金を貯めてはみんなで旅行に行ったり、好きなクラシック音楽のコンサートに行ったりしていました。ショパンコンクールで優勝したスタニスラフ・ブーニンのコンサートは一番良かったです。
・4回生の研究室配属では、Molecular Biologyの実験ができる部屋を希望したが、見事にクジで外れ、タンパク質の構造の研究をしていた薬品製造工学教室(酒井朝也教授)の研究室に入りました。
この研究室では、テニスのうまい先輩がたくさんおり、学内のテニス大会でも優勝していました。私も少なからず貢献しました。
・研究テーマは、タンパク質のrefolding研究で、組換DNA技術で産生したタンパク質の多くはinclusion bodyという大腸菌内で沈殿となってしまい、うまく発現、精製できないということから、それを克服するための技術開発をしておりました。
・修士論文では、リゾチームやRNaseなどの球状タンパク質のfolding研究を行い、修士の間に2報の論文を書きました。
・修士1年の夏には、第28回名古屋テレビ放送海外派遣学生に選ばれ(東海地方で10名選ばれる)、アメリカのユタ州で2ヶ月間ホームステイしました。その間、アメリカ各地の大学の宿舎を転々として(MIT,コロンビア大学、UCLAなど)、向こうの大学生たちと楽しい時を過ごしました。また、グランドキャニオンやザイオン国立公園など壮大な自然も見ることができ、未だにあの時の体験は忘れません。
・1987年にノーベル賞をとった利根川進先生の「精神と物質」(立花隆著)を読んで、将来、生命現象が遺伝子レベルで全て説明がつくのではと真剣に考えていました。
・博士過程は、洗剤の中に入っている酵素として有名なサチライシンのrefolding研究を行いました。サチライシンのrefoldingは、これまで困難とされてきましたが、初めて成功し、その時の論文は、FEBS Lettersの表紙を飾りました。また、この研究の時にお世話になったのが当時学習院大学生命研で教授をされていた三浦謹一郎先生(RNAのCap構造を発見したので有名)で、サチライシンのインヒビターであるSSIを提供していただきました。
・この仕事が認められて、2年半で薬学博士をいただきました。ちょうど我々の時代ぐらいからドクターが短縮してとれるように制度が変わっていました。

藤田保健衛生大学総合医科学研究所
・2年半でドクターをとった後、留学する予定でいろいろな助成金の結果を待っておりましたが、ドクター3年で結婚したということもあり(ちなみに妻は大学の同級生です)生活費を捻出しないといけないということで、藤田保健衛生大学総合医科学研究所の研究員として短期で働き始めました。
・研究室は医高分子教室でタンパク質科学の世界的な権威の千谷晃一教授がボスをしていました。名古屋市立大学の時よりはるかに設備がよく、そこで細胞内シグナル伝達系に関わるタンパク質の研究を始めました。
・上原記念財団の海外留学助成金と日本学術振興会のPDの両方のグラントが通りましたが、PDのほうを選び、そのまま藤田保健衛生大学で研究を続けました。
・1996年に助手になり約5年間、リン酸化タンパク質の構造機能研究に携わっておりました。

理化学研究所播磨研究所(SPring-8)
・自らがが研究していたタンパク質のX線結晶構造解析を自らの手でやりたいということで、2000年6月に理化学研究所播磨研究所(SPring-8)に移りました。ここで、初めて名古屋を離れ単身赴任生活を始めました。
・加藤博章先生(現・京大薬教授)、中津亨先生(現・京大薬准教授)にX線結晶構造解析の基本から教えていただき、目標の2つの構造を解き、それぞれ有名ジャーナルに発表することができ、また、マスコミにも取り上げてもらいました。

日本オルガノン株式会社医薬研究所
 2002年に日本オルガノン株式会社医薬研究所(旧カネボウ医薬研究所)からお誘いを受け大阪に移り、プロテインキナーゼを中心としたプロテオミクス研究を開始しました。
・この間は、アカデミックな研究から創薬を念頭においた応用研究も行い、薬がいかにできるのかを勉強させていただきました。特に、本社があるオランダの研究所での研修は、欧米の最先端の創薬現場を見ることができたということで、非常に印象的でした。
・理研時代から、プロテオミクス研究が盛んになり、質量分析計を中心とするプロテオーム解析にも携わるようになりました。たまたま、2002年の10月に、ノーベル化学賞をとった田中耕一博士の受賞後初のセミナーである生化学会のランチョンセミナーの座長を愛媛大学医学部の東山繁樹教授とさせていただいたのは夢のような出来事でした。

カルナバイオサイエンス株式会社
・2003年4月に、日本オルガノン研究所医薬研究所からスピンオフして総勢19名でバイオベンチャーを立ち上げました。
・プロテインキナーゼを中心としたビジネスで、この間、プロテオミクス室長として特に構造解析やプロテオミクス解析、シグナル伝達系の基礎的な研究などに尽力を果たしました。
・また、大阪のバイオビジネススクールにも通い、バイオビジネスの経営の勉強をしました。
・カルナバイオサイエンス株式会社は2008年3月に上場(東証JASDAQ)しました。

京都学園大学バイオ環境学部
 2006年4月より、新学部である京都学園大学バイオ環境学部に移り、新たな思いでがんばっています。この十数年間は、名古屋、播磨、大阪、神戸、京都(亀岡)に移り住み、また、その間名古屋と京都を行き来する単身赴任生活も長くなっておりますが、バイオ環境学部で、元気のいい学生たちと新しいことに挑戦しています。バイオ環境学部は2017年3月に丸10周年を迎え、今後も質の高い研究・教育を目指していきます。