今日で2020年も終わり。
今年は本当に忘れることのできない1年になった。
先ずは何と言っても新型コロナウイルスによって、日本が世界が、そして自分の身のまわりの生活様式が全く変わってしまった。
2月末あたりから徐々にその影響がでだして、3月の大学全体での卒業式の中止を皮切りに様々な行事が無くなってしまった。3月に退職し4月から新天地に行く身となった自分にとって、送別会も全くなく、京都先端科学大学(京都学園大学)で14年間お世話になった方々にしっかりと挨拶もできないまま去ってしまうという状況になってしまった。そんな中でも多くの先生方や在学生、卒業生からは暖かい言葉をかけてもらい、14年間全力で教育・研究に頑張ってきたことが報われたと感じた。
20年間の単身赴任生活にピリオドを打ち、4月からは地元の名古屋に戻り岐阜医療科学大学に新しく開設された薬学部で働くことになった。自分にとっては出身学部である薬学部にこのタイミングで戻れたのは非常に運命的であり、気持ちを新たに教育・研究に取り組むのにも最適であると感じた。一方で、新型コロナウイルスの影響で、新しい学部に希望をもって入学してくれた学生さんや共に働く先生方との最初の交流もままらない状況で始まるという異例なものとなってしまった。1期生の桜の下での入学式が出来なかったのは本当に残念でならなかった。
6月に初めて対面で1期生と会い、徐々に大学の授業などもコロナ禍で様々な対策をしながらの始動となった。やはりキャンパスに学生が来て頑張っている姿をみるとこちらも元気がでた。他の大学では未だにオンライン授業が中心であるということを聞くと、地方の医療大学のメリットはこういう面であるのだと感じた。後期からは薬学科と看護学科の生化学の授業や実験なども本格的に始まり、コロナ禍においても我々の大学では教育は問題なく普通に行われていることに感謝ししている。
教育・研究の立ち上げとともに、大学内でのPCR検査に参加させてもらったりと少しばかりであるが大学に貢献できたことも良かった。薬学部の他の教員の先生方のポテンシャルも高く、また事務職員の方々も本当に優秀な方ばかりでとても助けられている。今後、ここでいろんな成果を出していきたいと思っている。
ここ最近は、私立大学で働いているということもあり、どうしても教育中心と大学運営側のほう(教務主事や教育開発センター長など)での仕事が多く、その中で卒論生や大学院生を指導して自分の研究成果を発表していくという状況であった。従って、はっきり言って、その前に在籍していた研究に特化していた大学の研究所や理化学研究所、製薬企業、バイオベンチャーに居た時の研究成果と比べると、かなり貧弱なものになってしまっている。そのあたりは言い訳をしてはダメだと反省して、以前に肩を並べるくらいの成果を出していかなければならない。幸い、こらまでの卒論生や大学院生の成果はかなりいい形で溜まっているので、それを早く世の中に出すのが2021年に向けた自分への約束になるだろう。また、以前から世界的には認められているミリストイル化タンパク質の一連の仕事については、自分で少しずつ手を動かしてもうひと花咲かせたい。
まだまだ新型コロナが収束するのは先のことだと自分の中では思っている。そんな中でも、2020年という劇的な変化のあった年を忘れず、またそこで経験したことを生かして、来年以降にいい形で繋げていきたい。